教会の集会活動

全能の父・子・聖霊なる神様の祝福を祈ります。

2012年8月17日(金)〜8月23日(木)。南インド使徒トマス遺跡ツアーを開催予定。15名〜25名の参加者募集中
企画:イーグレープ、後援:日本景教研究会、旅行会社並びに申込先:JTB法人東京教育第一事業部宛 電話03−5909−8012(宗本)
遺跡巡りの内容/チェンナイ<使徒トマスの殉教地、使徒トマス大聖堂、祈りの洞窟など>その他市内見学。 コーチン<使徒トマス神学校、トマスが建てた幾つかの教会、3000年の歴史あるユダヤ会堂>その他市内見学。
申込締切日/6月28日  詳しくは電話で御問い合せ下さい。


全世界に出て行き、すべての造られた者に、福音を宣べ伝えなさい。信じてバプテスマを受ける者は救われます。(マルコ16:15-16) 
福音は、ユダヤ人をはじめギリシヤ人にも、信じるすべての人にとって、救いを得させる神の力です(ローマ1:16)


CGNTVで川口一彦牧師が久米小百合さんのインタビューを受けての大変素晴らしい価値ある内容の「景教」(DVD)が出来ました。一枚500円(送料別)で販売しています。ぜひお買い求め下さい。
ご連絡先は☎090−3955−7955 川口一彦代表、
メールアドレス kei1951-6@xc4.so-net.ne.jpまで。
愛知福音キリスト教会 牧師・会員一同


日曜集会  
1.主日礼拝:午前10:30−12:00
  「聖書を読みなおす」をテーマに創世記から順次、神の愛による人間の救いの計画を新しく学んでいます。

2.三味線の調べで歌う童謡をうたう会  
  三味線の調べで童謡を歌うのも変わった味わいを体験できます。月一回で5月は12日(土)午後2時〜3時半。
  茶菓代として参加費200円。

3.月一回土曜日午後、書道教室をしています。牧師が発売した「一から始める筆ペン練習帳」を使って学んでいます。
  教会堂の玄関横に「福音亭ミニギャラリー」を開設、様々な展示が見えますので一度のぞいて見て下さい。

その他の教会活動
  他教会への牧師説教奉仕
  各地での景教講演 2012年5月3日夜は「空海と基督教」のテーマで名古屋駅西
 南のCBIキリスト聖書学園を会場に景教セミナーを開催予定。主催は「聖書と日本フォーラム」。
  ※講演案内は左のリンク「景教(東周りのキリスト教)」にもあります。   



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様々な悩みや、何かの原因で重荷を負っている方、イエス様は「すべて疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。」とおっしゃっています、イエス様はあなたの人生を導いてくださいます。 はっきりした信仰を、お持ちでなくても結構です。教会はあなたをお待ちしています。 又聖書に興味のある方、聖書を学んでみたい方、特に宗派は問いません、お気軽に礼拝に参加してみて下さい。献金は強制ではありません、献金を捧げたいという気持ちになった時で結構です。どうぞ礼拝に参加下さい。 「わたしはぶどうの木で、あなたがたは枝です。人がわたしにとどまり、わたしがその人の中にとどまっているなら、そういう人は多くの実を結びます。 」
(ヨハネの福音書 15章5 節より)

愛知福音キリスト教会の携帯サイト開設しました。 Yahooにて愛知福音で検索して下さい。 googleでは愛知福音キリスト教会で検索下さい。

  1. 2013/05/21(火) 23:27:52|
  2. 教会の集会・活動案内
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  1. 2012/05/09(水) 20:40:35|
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  1. 2012/03/31(土) 11:07:39|
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終末とキリストの再臨について

キリストの初臨と購いの業によって終わりの日が始まった。旧約に預言されていた
神の救いは十字架と復活の御業によって成就され、キリストを信ずる者は神の国に
入れられている。しかしまだ終わりは完成されていず、再臨を待ちつつ、同時に
全世界に悔い改めとキリストの購いを述ぺ伝えていく重大な使命が
与えられている。
教会の頭である主キリストは、ご自身のみことばの教える通りに、等しい御体を
もって(肉眼で見える姿で)地上に来臨される。その時、主は正しい者も
正しくない者も、生きている者も眠った者も、さらに死んだ者もすぺての者を
裁かれる。キリストにある者ほ永遠の祝福へ、別の者は永遠の呪いの火へと
分離される。最終的には主は、万物を新しくし、御国を父なる神に渡される。

キリストの花嫁である教会は、キリストとの文字通りの婚宴の大祝会へと導かれる。
御国の完成であり、救いの完成であり、悪が最後に減ぼされる日が終わりの日である。
そして新天新地が創造される。

Iコリ15:24-26,Iテサ4:16-17,IIペテ3:7-13、マタ24章一25章、黙示20-21章
  1. 2012/01/16(月) 15:49:57|
  2. ○キリストの再臨
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慰めの神があなたを再出発へと導く


慰めの神があなたを再出発へと導く
 
すべての人の造り主であり救い主は慰めの神様であり、その方を信じて私たちは慰められ、勇気を与えられ、苦難を後にして再出発へと導かれます。

 「私たちの主イエス・キリストの父なる神、慈愛の父、すべての慰めの神がほめたたえられますように。神は、どのような苦しみのときにも、私たちを慰めてくださいます。」(第2コリント1章3節〜11節)

これを書いたのは、1900年前に数多くの苦難を経験し、殉教したパウロと言う人物でした。彼は自然災害、人的災害、経済的困難、肉体的被害などを経験しましたが、神は慰めの神と告白し、活動しました。

慈愛とは、憐れみや思いやりで、同じ思いになることです。慰めとは苦難にある人を助け、支え、強め、気落ちしたり落胆したり、沈んでいる者に生きる力の声かけと再出発を導くことです。

世界に多くの神々はいますが、天地万物を造り、人間を造り、生かす神様はただ一人、聖書の神様です。この方は私たちの主イエス・キリストの父なる神、慈愛の父、すべての慰めの神様です。神様は人間の苦しみを無視しないで共に苦しみ、共に悲しみ、同じ思いになり、同情深く、理解して下さる神様です。「大丈夫。安心しなさい。私があなたとともにいる。」と言って、声をかけて再出発へと導かれる方です。

 そのような時、傷ついた私たちの心に自分に頼る心があれば、再出発はできません。自分を頼る心は揺れ動き、自責の念に駆られたり、他者を恨んだり、赦せなかったり、悪意を持っているからです。

 父なる神様は、十字架で殺されて死んだその子イエス様を3日目に死から復活させ、弟子たちに新しいミッション・使命を与え再出発へと導きました。そのことは死んだも同然の私たちに対して、過去のさまざま思いに浸るむなしい生き方でなく、また神なしで生きてきた人生から神と共に生きる最善の道へと神様は導かれます。そこに十字架で身代りに死なれて罪赦された赦しと愛されている愛を発見し、落胆する者への慰めと希望と励ましを受けるのです。

 私は過去において、人から捨てられて悲哀を経験し、落胆し、死を覚悟し、慰めから遠ざかった時期がありました。しかし聖書の言葉と十字架ですべての人に捨てられたイエス様の苦難を体験し、イエス様の苦しみを味わう中で、神様の慈愛と慰めを体験しました。神様は特別に私を愛して下さり、同情して下さり、悲しみ、ともに泣き、同じ思いになり、過去に決別し、新しい再出発へと導いて下さいました。私は神様大好きです。神様は命です。神様は今も苦しむ人のための助けです。

「苦難の日にはわたしを呼び求めよ。私はあなたを助け出そう。あなたはわたしをあがめよう。」(詩篇50篇15節)と語りかけています。

 主イエス様は「すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。」(マタイの福音書11章28節〜29節)と、あなたにも語りかけておられます。

私は祈ります。あなたも神と共に生きる新しい人生へと再出発なさいますように。あなたも再出発できます。神の慰めのことば、死から復活させた力があなたを再出発へと導きます。そうしたら特別に神様に愛されていることを知るでしょう。愛されていることこそ慰めであり、支える力です。

川口一彦著(愛知福音キリスト教会牧師、〒486-0927春日井市柏井町7-2-6連絡先/?090-3955-7955)
  1. 2011/06/01(水) 07:47:54|
  2. 聖書のメッセージ
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絵手紙

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  1. 2011/05/22(日) 00:23:16|
  2. 絵手紙
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牧師紹介








川口牧師先生は、昭和26年6月30日、三重県松阪市に生まれる。愛知学院大学時代に宗教学科へ進み僧侶をめざしていたが、近くの春日井福音館を訪ね、人生転換の契機をもたらした。
イエス・キリストが自分のすべての罪を赦す方として十字架にかかって死んで復活され、この方と教えを信じれば救われるという福音にふれ、空しい生き方から変わった。目に見えない、神の導きとしかいえませんと回想しておられます。
その後、バプテスマ(洗礼)を受けて新生し、伝道者として名古屋市北区に遣わされて牧師となりました。その後、春日井の地に遣わされ、現在は愛知福音キリスト教会を設立し、神に奉仕しておられます。


日本景教研究会代表。
先生は説教の時にもユーモアを忘れず、聖書のメッセージをわかりやすく私達に解き明かしてくださいます。

著書に「景教ーシルクロードを東に向かったキリスト教(イーグレープ)「仏教からクリスチャンへ」(イーグレープ)「景教のたどった道」(著者販売)「徒歩で中国へ
」(イーグレープ、監修)「漢字と聖書と福音」(著者販売)等がある。


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愛知福音キリスト教会(現時点では単立・独立教会)は、主権者なる神が聖書に啓示され、福音によって宣教と教会の建設を命じられた「見える教会」を建設するために立てられた神の教会です。

神学的立場は、福音主義、聖書信仰、万人祭司の真理に基づいた公同の教会で、キリストを頭とし、キリスト(の福音)に信従し、聖霊によって新しく生まれた「役員と信徒会員」によって構成され、聖徒の交わりに生きる聖なる歴史的教会です。











  1. 2011/05/22(日) 00:21:48|
  2. 牧師紹介
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教会史




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教会全景



(1) 1978年1月8日(日)、名古屋市北区上飯田名鉄ストアー地下文化スクールの剣道場において、春日井教会伝道所(上飯田キリスト教会)が開かれ、川口伝道者が派遣され伝道を開始。(書道教室も教えられていました。)

(2) 1979年4月1日、名古屋北福音キリスト教会として改名。

(3) .2000年に、名古屋北福音キリスト教会を閉鎖。

(4)愛知福音キリスト教会を設立、2010年6月に柏井の地に会堂を入手、7月より礼拝を開始。




  1. 2011/05/22(日) 00:19:26|
  2. 教会史
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教会へのアクセス

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愛知福音キリスト教会(神様の絶大な愛を知り、愛を知らせる福音に生きるキリスト教会です。)
住所:愛知県春日井市柏井町7−2−6
*JR中央線勝川駅南に出られて、東に徒歩約15分。

TEL&ファクス:
0568−29−8539
携帯090−3955−7955(牧師)



  1. 2011/05/22(日) 00:16:38|
  2. 教会へのアクセス
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聖霊について


私達は、父なる神と御子なるキリストから、聖霊なる神が遣わされていることを
信じる。聖霊は人格を有し、その働きは人に父なる神と御子キリストと救いを示し、
罪と義と裁きについて、人々の目を開き、御子キリストヘの信仰(信頼)と、
キリストによる罪の赦しと永遠の命の救いを与え、罪の支配から神の支配へと
新しく生れさせる。聖霊ほ信仰者をキリストの体である教会のメンパーとし、
各信仰者の内に住まわれ、神の子としての保証を確信させる。さらに聖霊は、
御言葉を慕い求めさせ、祈りと御言葉による勧告・教育を通して信仰者を清め、
励まし、慰め、助け、神を礼拝することの喜ぴへと導かれる。
また聖霊は、教会の中から牧師・教師・奉仕者を立て、教会員各自に奉仕の
働きを促し、神の救いの宣教と社会的責任の業の人格的原動力となられる.

A、聖霊は人格者なる神
聖霊は、自分から語ったり、自分について語ることはせず、父と子である
キリストから聞いたことを語り、キリストに栄光を帰するために世に
遣わされました。異端のエホバの証人が強調するような聖霊を
単なる力・原動力とするなら「遣わす」という語は使われません。聖霊が
人格者であるゆえに天から派遣されたことが理解できます。また聖霊は
語り、教え、執り成し、任命され、また悲しまれ、慰めるという
知性・感情・意志の人格を持たれています。さらに聖書は・聖霊を
「もうひとりの助け主」と言い、霊が中性名詞でありながら聖霊を
男性名詞で表現し、神の民と共に再臨まで臨在される方として証されています。
マタイ3・16-17、ヨハネ14・16-17,23,26、使徒13・2、ヘプル3・7

B、聖霊は活動する神

聖霊は天地の創造以前より存在し、特に創造に関与され、アダムを活かす時に
命の霊として息を吹き入れ、神のかたちに創造されました。つねにその働きは
活かす働きに参与され、堕落した人を新生させる場合にも主導権を行使されます。
聖霊によらなけれぱだれ一人神の子とされず、罪意識も持てず、キリストの
購いを受げることも出来ず、神の御国に入る力も信仰生活を送るカも
出来ません。まさに聖霊は活かす御霊とも呼ぱれる故です。
創世2・7、ヨハネ3・5,20・22

C、聖霊こそ聖書の著者

聖書は、特定の人を記者として聖霊による息吹によって世に生み出された神の
意志の書物です。聖霊は堕落した人間を神の御国に入れるために、神の意志を
伝達する手段として来られ、聖書により、神の救いの計画、人間の腐敗の姿、
キリストによる完全な救い、新しい天と地の創造等、創造から堕落、
堕落から新創造へと大きく啓示されました。それが聖書であるゆえに
完全に信頼して生きる民が神の民です。
第ニテモテ3・15・一17、第ニペテロ1・19-21

D、聖霊はキリストを崇める教会に内在される

聖書を通し、キリストヘの服従によって救いを得た神の民キリスト者は
孤独ではありません。救いの喜ぴ、神への信頼と賛美と希望、困難や迫害の時に
おける忍耐と信頼、肉体の死を通して永遠のパラダイスに入る希望等が
与えられているのは、まさに聖霊の内住の働きです。信じる者の心に
聖霊が語りかけ魂を活かすのほ聖霊の働きをおいて他にはありません。
再臨の時まで聖霊は助け主として共におられ、キリストが世の終りまで
共におられるのと同じことです。
ヨハネ14・16
〈註〉「助け主」とは、ギリシャ語でパラクレトス、側に呼ばれた者という意味。


コメント:
神は三位一体と言われ、父、子、聖霊という3つの位格もつ、聖霊は第三位格で、
御言葉とともに人間に働きかけます。

どうしようもない人間でさえ、実は神は救おうとしているのです。自分のようなものでも救いに
あずかれるのだということを信じることが出来るのが恵みなのでそのことは神の働き
(これを聖霊と呼びます)によるものだとみていきます。



  1. 2011/05/22(日) 00:11:25|
  2. ○聖霊
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神(キリスト)の教会について


神の教会は、神のみことばと聖霊とによって、罪の世から召し出された
キリストの体であり、キリストご自身がその頭である。信仰者の群れである
教会は、キリストを自らの救い主、主として服従し、キリストに着く
パプテスマを受け、聖霊によって新生して体の一員(器官・肢体)とされる。
地上の教会は、頭である主キリストにのみ信頼し、そのみことばにふさわしく
信仰と純潔を保ち、内的平和(秩序・調和)を重んじ、礼拝(請集会)と聖礼典を
執り行い、聖徒の交わりをなし、互いの罪を裁き合わず、互いにキリストの愛を
もって徳を高め合い、戒規を重要視し.体を建て上げる使命が与えられている。
そして再臨に至るまですぺての造られた者に福音を伝える重大な使命をも
担っていかなげればならない。それが我々キリストの群れに科せられた務めである。

A、教会の起源と自立一告白する信仰者の群れ

教会の始まりは使徒2章に見られますが、実に聖霊がキリストに信頼する者の
内に臨まれ、キリストの復活の証人として立てられました。そして全世界に
出て行って至る所でキリストの十字架と復活の御救いを宣ぺ、侮い改めと信仰を
宣言して、信じた者たちは神の所有の民へと加えられていきました。
このようにして主のみことばへの信頼によって聖霊による新生を体験した
者たちによって戦う教会の活動が始まりました。教会は人から力を得たのでなく、
神の愛と聖霊の力によって活動することによって自立し、キリストを告白する
群れとなっていきました。

B、教会の現在の使命一神への愛と人への愛の証一

教会の使命は、キリストの救い購い=罪の赦し〉をすぺての造られた人に伝えて、
信じる者を御国に導く。御国のメンパーは、キリストの体に加えられ信仰生活を
送る。そして礼拝・伝道・家庭生活・職場での生活を通して神の栄光を現わす。
神を愛し、人に神の愛を伝えることが使命。

C、教会の将来一栄光に教会に移される(栄光の神の国の到来)一

見える地上の教会は、信仰告白とパプテスマにより「キリストの体」に
結合されたメンパーが聖餐を通してキリストとの交わりに導かれ教会を形成します。
信仰者は、罪の赦しを受けて義とされ、義とされた者は聖化され、再臨を待ち望み、
やがて見えない栄光の勝利あるキリストの同じ姿へと変えられていきます。
これらすべては聖霊の働きであります.
ローマ8:29-30,1Iコリ3:17-18


コメント:
教会に通う理由は人それぞれによって違います。なんとなく行きたくなったとか、
誰かにすすめられてとかいろいろあります。ところがこれらの働きは神様(聖霊)に
よるものなのです。ですから教会というところは神様に呼び集められた者達の集団です。
そして教会とは、キリストを信じている者の集まり、そのものを言います。 
呼び集めた主(キリスト)は頭で信者は体、私達一人一人が手足になるのです。
ですから私達の責任は重大です。

  1. 2011/05/22(日) 00:09:54|
  2. ○神の教会
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真実の神(創造主)

真実の神(創造主)


日本では多くの神々がありますが、真の神は天地の創造主で、宇宙に唯一です。

天にいます、この事は、神は自然をも支配しておられ、超自然であることの表現です。
この世界の総合やこの世界に存在しているものは、真の神ではありません。また真の神は
霊であり姿、形はありません。ですから、見える形では正しく表現できません。

創造主は何でも知っておられ、神の前には、偶然は存在しません。偶然と見えることも、
すべて主の支配下にあります。そして創造主は全能です、このことを本当に信じられた時、
聖書の約束は簡単に信じることが出来ます。

神は時間の創造主でもあり、時間を支配しているので、時間の支配下にはなく、したがって
永遠とは今の時間が長く続くのではなく時間の支配下にないことです。ですから神は歴史の初めと
終わりとを同じ正確さで語ることが出来ます。同じように無限と言うのも神が空間の創造主であり、
空間の支配も受けないということです。

神は聖(きよ)く義(ただ)しく、一点の汚れも、不義も許しません、このように神の義(ぎ)が
けたはずれにきびしいように、神の愛はけたはずれに大きいのです。なぜならキリストみずから私たち
人間の罪のために身代わりとなり十字架にかけられたのです。

真の神は父、子、聖霊の三位一体で本質は一つですが、三つの異なった人格を持っています。



  1. 2011/05/22(日) 00:08:15|
  2. ○創造主
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三位一体の神について

生けるまことの神は唯一で、永遠から父・子・聖霊の三位一体であられる。また神は
みこころによって、言葉をもって、目に見えるもの見えないものすぺてを創造された
創造主であり、その造られたものの絶対主権者であり、すぺてを支記し、保持して
おられる。それゆえ、まことの神は造られたすぺての者から、霊とまことをもって
礼拝され、信仰による交わりを求めておられる。
創世記1-2章、ヘプル11・3、申命記6・4、マタイ28・19(・コリント13・13)


A,御自分を啓示される神

万物の創造主は御自分の意志と目的を啓示しています.
(1)造られたすぺての物によって
ローマ1・18-20、詩篇19・1
(2)人間の良心によって
ローマ2・12-16、創世記1・26-27
(3)肉体をとられた御子キリスト・イエスによって。キリストを知ることは
神を知ることです。
ヨハネ1・18,14・6-11
(4)言葉である聖書によって
(1)-(3)を教えるだげでなく、聖書には人間と世界の歴史を通して、イスラエルと
諸国民や教会に神の意志、目的、救いとその完成を示しておられる。
新約聖書は神のみこころの完全な啓示として、また旧約聖書の預言の成就として
十分にみこころを明らかにしておられる。
詩篇19・7-11、ヘプル・1・1-3

B,人間を創造された神と、人間が製作した偶像の神

聖書の神は、天地万物・人間を創造された唯一の神です。それに対して多くの神々は、
人間が自分のために作り上げた命のない物としての偶像です。キリストの父なる神は、
偶像とそれらを拝みそれらに仕えることを忌み嫌われます。人が偶像を作り拝む動機は、
自己中心の利益と、神の罰を怖れてのことで、これはまことの神を無視するだけでなく、
生ける神に反逆した最大の罪です。
エレミヤ2・13、申命記4・1-40,5・7-21、イザヤ44・9-17,46・3-4、ローマ1・21-32

C、神は唯一で、三つの人格を有しておられる

旧約聖書では特に神の唯一性を教え、新約聖書では特に神の三位一体性を強調しています。
すなわちひとりの神が三人格、父・子・聖霊を有し、その神性において全く同等であり、
永遠であるということです。それゆえ、旧約聖書だけでは神の奥義を理解できず、
完全に神を明らかに解き明かした神の御子キリストの言葉である新約聖書によって
知ることができます。
マタイ28・19
『父、子、聖霊の御名によってバプテスマ授け」の「御名」は単数で、三つの位格を
有するひとりの神の御名、との意味で、これによって明らかです。
ルカ3・21-22、・コリント13・13、使徒信条を参照。
(1)父なる神一一万物の創造者、支配者、全能の父、堕落した人を滅びから救うために
愛をもって独り子キリストを世に遣わし、十字架の死と復活と昇天と再臨によって、
御子キリストを信ずる者を永遠の救いに、御子キリストを拒む者を永遠の滅ぴに
定められています。しかし、それを見極めることは肉なる人の判断領域ではありません。
人はただ神の遣わされたキリストに従っていくことと、キリストによって父なる神へ
礼拝をささげることが求められます。
ヨハネ4・23
(2)子なる神一一一キリストは神であられたが、罪と死と減ぴに堕落した私達を
神の子とするため、人の姿を取り、私達に代って罪の刑罰を十字架の死と復活において
成就されました。罪を侮い改めてキリストに生きる者を聖霊を送って神の子にして
下さいます。主は昇天し、父の右の座に着き、私達の救いの完成と、悪魔の誘感に
勝利して信仰生活を歩むために、毎日執り成しの祈りを父の御前にしておられます。
主は地上生活の間は「人」として生きられました。
マルコ10・45、ヘプル9・26後半一28,Iペテロ2・22-25
(3)聖霊なる神一一一聖霊は父と子から遣わされ、罪人に、罪と、義と、裁きに
ついて心の目を開かせ、イエス・キリストを主・救い主と信じる者を新しく生まれ
変わらせて下さいます。そして信じる者のうちに住み、教え、聖化、指導、慰め、
助け主として救いを完成し、キリストの姿に変え続けて下さいます。
ヨハネ3・5,14・16-27,15・26,16・7-15,Iコリント6・19、エペソ1・13-14,4・30、テトス3・5-7


  1. 2011/05/22(日) 00:07:17|
  2. ○三位一体の神
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  4. | コメント:0

主イエス・キリストについて

私達の主であり、救い主であるイエス・キリストは、真の神、真の人であり、
神が定められた時に処女マリヤのうちに聖霊によって妊娠し、降誕された。
キリストの生涯ほ、罪も汚れもなく人に仕えられた。即ち、私達人間の罪を購い、
神の子とする為に、十字架で死なれ、三日目の朝によみがえられた。キリストは
40日、地上におられ、天に昇り、全能の父なる神の右の座に着いて全世界、
全人類を支配しておられ、信仰の選民を愛し、民の仲保者として永遠に生きて
働いておられる。やがてキリストほ父が定められた終末の時に、全人類を裁く
(信徒と非信徒を選別する行為)ために再ぴ地上に来臨される.

A,神であり、人であるキリスト
ビリピ書2・6-11「キリストは、神の御姿であられる方なのに・・ご自分を無にして、
仕える者の姿をとり、人間と同じようになられたのです。」
その他、ヨハネ1・14,18、マタイ1・23
人でありながら人と違う点は、ヘプル4・15とIペテロ2・22に証されてあるように、
「罪を犯さなかった」ということです。このキリストが、父なる神を完全に証し、
神の業を行ない、同時に罪人と共に生活され、私達の立場に立たれました。
つまり神と人の両方に立っ方、この方が唯一の仲介者です.

B,キリストの三職

キリストが、神であり人であることは、人と神との間に立っ、永遠の救いの
仲保者であることを示していますが、キリストとは「油注がれた者」の意味で、
旧約聖春には「預言者I「祭司」「王」に聖霊が特別に注がれたことが
記されています。キリストはこれら三つの職を十分に完全に備えられた方として、
この重要な職務を全うされました。
Iテモテ2・5-6

(1)預言者職
旧約の預言者は神のみ旨を人々に知らせ、民を指導しました。この意味で旧約時代の
預言者たちはすべて、やがて来るべきイエス・キリストを指し示していました。
キリストは今も、聖書とキリストの教会を通して神の民に歩むぺき道を知らせ、
救いの道を示しておられ、具体的に神の言葉の説教と救いの証を通して語り、
職務を果たしておられます。
ヨハネ6・45、マタイ28・20



(2)祭司職
大祭司としてのキリストの務めは、本来私達が受げなけれぱならない罪の刑罰を、
十字架の上で身代りに引き受けられたとこと。即ち、キリストが傷のないご自分の体を
神へのいけにえとして捧げられたことを通して私達の罪を赦し、和解の務めを絶えず
神に執り成しておられる恵みの業であります。この恵みは、天において、昇天から
再臨に至るまで、すぺてのキリスト信仰者のために祈られています。
IIコリント5・19,21、ヘブル9・14-15,28,7・24-25

(3)王職
王としてのキリストということは、キリストが私達を罪、死、悪度とこの世から
召し出して救い、永遠のみ国に入る日まで、悪い者から守り、豊かな祝福を与え、
守り導いて下さるということです。キリストが王として支配されるのは、
権力によるのでなく、愛と恵みによる議逓であり、実質的に、みことぱの宣教と
洗礼と聖餐により、聖霊による交わりを通して信仰者の群れは形成され、教会が
建てられていきます。詩篇23篇こそ王に従う群れの平安の姿が写し出された
珠玉の信仰歌です。しかし、不信仰な者、キリストに従わない者にはそれに報いる
かたちによって王の職務が遂行され、王の支配する御国から追放されることは
ご自身が述ぺられたところです。マタイ13章、25章には、神の国がどういう状態で
あるかが教えられています。つまり、王なる神の言葉の人への介入、それに対する
人間の応答、そして最後に王としての報い、裁きです。それが一部の人でなく、
すぺての人が対象として描かれているということはすぺての人が、王なるキリストに
申し開きをしなけれぱならないということを警告しています。



コメント:
私達が、神さまの事を、本当に知りたいと思ったら、どうするのでしょう。
直接、神に聞いたほうが良いのですが、ところが、私達はどれが本当の神様か
知ることができないのです。聖書の中に、律法の専門家が大切な戒めはどれですか。
とイエスに尋ねたところ、イエスは「心を尽くし、思いを尽くし、知力をつくして、
あなたの神である主を愛せよ。」とあります。この意味は、神様と言うものは、
人間に与えられた全能力を使って求めていくべき存在なのです。
神は私達、人間を救うためにイエス・キリストをこの世につかわされました。
しかしイエスは神であり、人間だったのです。神であるときは、本当に万能の神
(奇蹟、昇天)であり、人間(誕生、悲しみ、恐れ)であるときは、本当に弱い存在でした。
そこからキリスト教の信仰は始まり、
大きな恵みが与えられるようになるのです。

イエスは真の神であります。

ヨハネ福音書
1章1節 「初めに、ことばがあった。ことばは神とともにあった。ことばは神であった。」
2節 「この方は、初めに神とともにおられた。」
3節 「すべてのものは、この方によって造られた。造られたもので、この方によらずに
できたものは一つもない。」
4節 「この方にいのちがあった。このいのちは人の光であった。」
5節 「ひかりはやみの中に輝いている。やみはこれに打ち勝たなかった。」

イエスは真の人であります。


マタイ福音書より
1)イエス・キリストは処女であったマリアより誕生した。それは聖霊によるものであった。
夫のヨセフは大工で、イエスは大工の子供として育てられた。
2)イエスは祈りの為、オリーブ山に登った。そして人類の罪の為に死ぬ時がまじかに
迫っている事をしり、こう祈った。「わが父よ。できますならば、この杯をわたしから
過ぎ去らせてください。しかし、わたしの願うようにではなく、あなたのみこころのように
なさってください。」イエスは悲しみ、苦しみもだえ、
血の汗がしずくのようにしたたり落ちた。
3)イエスが十字架につけられ死ぬ直前、「わが神、わが神。どうしてわたしをお
見捨てになったのですか。」そして最後にもう一度大声でさけんで、息をひきとった。

神は、自ら反逆し永遠に滅ぶ罪人を救うため、断絶状態にある人との関係を、
唯一の仲介者である御子キリストを地上に遣わし、反逆罪の罪を十字架のキリストに
負わすことによって神の怒りを沈め、罪から解放されました。これが神の和解による
救いです。なぜキリストが必要かはすべての人が罪を犯したので、同じ人間がどんなに
頑張っても神の怒りを鎮めることは不可能です。人の必要を知り、神の御心に叶うもの、
その両者の立場が必要であるゆえに、人の姿をとられた罪のない神の御子イエス・キリストが
死と復活を通して、唯一の救い主となられたのです。従って、救いは神の側から差し出された
罪の赦しであり、神の一方的な憐れみによるほかなく、我々は心を神に向け、悔い改めてキリストを
受け入れることにより、救われる、と聖書は教えています。



  1. 2011/05/22(日) 00:05:49|
  2. ○主イエス・キリスト
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救い

神は、自ら反逆し永遠に滅ぶ罪人を救うため、断絶状態にある人との関係を、
唯一の仲介者である御子キリストを地上に遣わし、反逆罪の罪を十字架のキリストに
負わすことによって神の怒りを沈め、罪から解放されました。これが神の和解による救いです。
なぜキリストが必要かはすべての人が罪を犯したので、同じ人間がどんなに頑張っても
神の怒りを鎮めることは不可能です。人の必要を知り、神の御心に叶うもの、その両者の
立場が必要であるゆえに、人の姿をとられた罪のない神の御子イエス・キリストが死と復活を通して、
唯一の救い主となられたのです。従って、救いは神の側から差し出された罪の赦しであり、
神の一方的な憐れみによるほかなく、我々は心を神に向け、悔い改めてキリストを受け入れることにより、
救われる、と聖書は教えています。
 
私たちが救われる道は、ただ一つです。それは神のみことばが私たちの心に蒔かれることによって
始まります。その人は神のことばを心に吸収し、ますます豊かに導かれていきます。

全ての人は罪を犯したので、死とさばきに会います、人間は、自力救済は不可能ですが、
神は愛をもって人間を許すことをされました。しかし、ただ許すのではなく、神の義を全うするため、
ひとり子、イエスを身代わりに罰せられたのです。

救いとは、病気、わざわい等から解放されるよりも。神との信頼関係が正しく回復することです。


  1. 2011/05/22(日) 00:04:35|
  2. ○救い
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クリスチャンとは


一般的な人からクリスチャンを見た場合、タバコを吸わない、お酒をのまない、
右のほほを殴られたら左のほほを出す、そしてまじめである、少なからずその様に
思っている方もいると思います。しかしクリスチャンといっても皆がまじめで
あるわけでもなく、いいかげんな性格の人、怒りっぽいひともいます。
ですからクリスチャンといってもそんなに一般の人と違っているわけではありません。

聖書では、クリスチャンと言う、この言葉は「キリストに属するもの」、あるいは
「小さなキリスト」を意味します。一般的に言うと、イエス・キリストを信じ、
その教えに従う人々をいいます。

又クリスチャンとは自分自身で神の求める義を(正しく清いことを考えたり、
行ったりすること)満足することができないとわかり、主イエスをキリスト(救い主)として
うけいれたもの。そして罪に体して死に、キリストに対して生きる人、又キリストを信じて、
キリストの体なる教会に加入した者をいいます。


  1. 2011/05/22(日) 00:03:16|
  2. ○クリスチャンとは
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人間とは

人間について


人間は、進化論が主張するような偶然の産物ではなく、創造主によって創造された
神の最高の傑作品である。すなわち人間の始祖アダムは、創造主なる神の
かたちに似せて造られ、神との正しい関係にあった。人は神を喜ぴ、神の栄光を
反映させるものであったが、悪魔(サタン)の誘惑により、神とその戒めに背いて
罪を犯し、神のかたちを失い、堕落し、神との関係を断つこととなった。
その結果、すぺての人は罪の性質をもって生れ、本質的にも、自己意志の選択に
よっても、その思いと言葉と行為とにおいて罪ある者で、アダムと共に霊的・肉体的に
死の支配におかれた。.それゆえどのような人も、自分の善行によっては救われず、
神の御前に罪を認めて悔い改め、イエス・キリストを罪と裁きからの個人的な
救い主として信じることによって神の子とされ(罪赦され)、永遠の祝福に
入れられることを信じる。キリストを信じない人は、その罪のゆえに神の怒りを
受け、永遠に滅ぼされ、呪いの苦しみを受けなければならない.

A,創造と自由意志

天地を造られた神は、動植物をそれぞれの種類にしたがって造り、人は神の息・かたちに
似せて造られました。それは人が動物とは全く異なり、動物から人が生れたと言う進化論を
否定しています。さらに神のかたちとは、御子キリストであり、この方との親しい
交わりの関係にあることを示し、本来人が神に向けられ、神の栄光を現わす
人格者として創造されたことを意味します。それゆえ人の生きる目的は創造主である
神・キリストを喜ぴ、神の御栄えを現わして生きることです。神は人をロポットの
ような神の奴隷として造ったのではなく、自発的で自由な意志のもとに生きるように
造られ、しかしそれが堕落によって自由意志が汚され、自己中心に傾く結果となりました。

B,堕落と原罪

人は、アダムが神(の言葉)に背いた罪〈原罪〉ゆえに、その罪を遺伝的に持って
生れて来ます。それゆえすべての人は罪人であって、思いと言葉と行ないの全人格に
おいて神に背く生涯を送ります。すなわち白分の造り主を認めず、あらゆる面で
自分を優先し、自己中心の罪の奴隷、不品行・肉欲の奴隷状態にあり、造り主の
代わりに、自分の勝手な神を作り、偶像礼拝を行なっています。罪とは、神との
関係の断絶であるゆえに、霊的に死の状態であるばかりか、肉体的に死んだ後、
神の永遠の呪いによる裁きに服す結末ともなりました.それを「罪から来る報酬は
死である」と聖書は警告しています。
ローマ6・23,1・21-32

C,神による救い(人の側には救いとなる条件は一つもありません)
神は、自ら反逆し永遠に滅ぶ罪人を救うため、断絶状態にある人との関係を、
唯一の仲介者である御子キリストを地上に遣わし、反逆罪の罪を十字架の
キリストに負わすことによって神の怒りを沈め(宥め)、罪から解放されました。
これが神の和解による救いです。なぜキリストが必要かは、すぺての人が罪を
犯したので、同じ人間がどんなに頑張っても神の怒りを宥めることは不可能です。
人の必要を知り、神の御心に叶う者、その両者の立場が必要であるゆえに、人の姿を
とられた罪のない神の御子イエス・キリストが死と復活を通して、唯一の救い主と
なられたのです。従って、救いは神の側から差し出された罪の赦しであり、
神の一方的な憐れみによるほかなく、我々は心を神に向け、侮い改めてキリストを
受け入れることにより救われる、と聖書は教えています。
ローマ3・23-26、エペソ2・1-10

  1. 2011/05/22(日) 00:02:09|
  2. ○人間とは
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教会生活



1.礼拝とは

礼拝の主体は神様との交わりです、私達が神様に語りかけます。そして賛美歌、
聖歌等を歌い、神を賛美します。牧師による説教は、よくいわれる「ああしろ、
こうしろ」というものではなく、「聖書を通して、神様から私達へのメッセージ」を
説き明かすものです。


2.祈り
 
集会の時の祈りは、個人的なものでなく、まず神への感謝、そして神への
賛美をしましょう、また一週間の各人への導きの感謝、礼拝等に主の臨在を
求めましょう。又他の人の救いや、幸せを祈りましょう。
でも不思議なことに、貴方の願いがあると思いますが、神への賛美等をしていると
心の中に、イエス様の恵みが広がり、それを祈らなくても心の中は満たされるようになります。

祈りの最後には必ず「イエスの御名によって...」とありますが、この意は
「イエスは私たちの為に常に神にとりなしていてくださるという支えの表明である。」
ということです。聖書の詩編には「神への祈り」が数多く書かれてあります。
是非参考にしましょう。祈る時には、イエス様を信じて祈りましょう、
そうすれば必ず応えてくれます。
又、牧師を通して語られる神の言葉に聞き入れるように祈ります。
献金・祈り・賛美等が受けいられるよう祈ります。

集会などで、自由に祈るチャンスがあれば、他の人の救いや、幸せを祈りましょう。
でも不思議なことに、貴方の願いがあると思いますが、神への賛美等をしていると
心の中に、イエス様の恵みが広がり、それを祈らなくても心の中は満たされるようになります。


3.洗礼(バプテスマ)

洗礼というのは、りっぱな人になったから受けるとか、りっぱな人になるために
受けるというものではありません。神様が私達を愛していてくださるということを
素直に受け入れ、それに応える生活をしたいと決心することが洗礼です。キリスト教では
洗礼の事をバブテスマといいます。私達は洗礼(バブテスマ)を受ける決心がなかなか
つかないものです、「これでいいのだろうか」等という様々な反省が 常に
つきまとっているからです。その決心ができるのは、神様からの力、すなわち
「聖霊のはたらき」によると考えられます。

ヨハネ 15章16節
「あなたがわたしを選んだのではなく、わたしがあなたがたを選んだのです」

洗礼を受ける事により、神様の力によって今までの全てのものの価値を、
自分に基準を置いて考える生き方から、神様に全てをおまかせして、神様から、
見た価値に基準を置いて判断する生き方が出来るようになります。今までの生き方に
ついて悔い改め、あたらしい生き方をするようになるのですから、洗礼は
「第二の誕生」とも「新生」とも言われます

バプテスマは、それを受ける者の『古い人』の死と埋葬の象徴である。
一度、全身を水の中に沈められることは、そのことをよく表わしているのではないか。
ゆえに、バプテスマを節目として、古い人生が終わり、神のいのちにある
新しい歩みが始まるのである。

洗礼式とは、イエス様を救い主と信じ、イエス様に結ばれ、神様の家族(神の国)に
入られる聖なる令典です。

又イエス様を信じて洗礼を受けるものは新生し、子供とされ、神を父として
信頼して歩みます。やがて天国に入ります。それはイエス様の御生涯に似せられ、
天国にはいることが出来ます。

洗礼式は、それぞれの教会の伝承により、全身を水に浸す「浸礼」とか、頭に水を
注ぐだけの「滴礼」などの方法があります。いずれも今までの神を知らない生活を
悔い改めて水で清めるという象徴的な意味を持っています。
 

4.聖餐(さん)式

聖餐(さん)式とは、イエス様に結ばれた信者が、神の愛と赦しを覚え、
主と共にいますことを食で交わる聖なる礼典です。

1、私は主から受けたことを、あなたがたに伝えたのです。すなわち、主イエスは、
渡される夜、パンを取り、感謝をささげて後、それを裂き、こう言われました。
「これはあなたがたのための、わたしのからだです。わたしを覚えて、
これを行ないなさい。」

2、聖餐式の中で配られるパン、およびぶどうジュースは、それぞれ、私たちの
罪のために身代わりとして裂かれたイエスのからだ、そして流されたイエスの
血(いのち)を象徴するもの。

3、こうして、クリスチャンは、聖餐にあずかる度ごとに、イエスが自分の
身代わりとして死なれたことを記念し、告白していることになるわけである。


5.信仰告白
「使徒信条」は聖書の中心的教えを短くまとめたものです、教会員の皆さんが声を
そろえて朗読します。是非おぼえて下さい。

我は天地の造り主、全能の父なる神を信ず。
我はその独り子、イエス・キリストを信ず。主は聖霊によりてやどり、おとめマリヤより生まれ、
ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け、十字架につけられ、死にて葬られ、陰府にくだり、
三日目に死人の内よりよみがえり、天にのぼり、全能の父なる神の右に座したまえり。
かしこよりきたりて生けるものと死にたる者とを審きたまわん。
我は聖霊を信ず。聖なる公同の教会、聖徒の交わり、罪のゆるし、からだのよみがえり、
とこしえの命を信ず。アーメン

6.証しをしましょう

イエス様が貴方に対して下さった祝福の恵みの数々を、お互いに口に出して
言いましょう。どんな小さな事でも構いません、感謝を持って証しする者に、
主は私たちに恵みを与えて下さるのです。


7.献金
献金は聖書によれば、恵みに応じ、自発的に感謝の心をもって天の父に捧げよ、
と教えています。そして献金は義理のようなものでもありませんし、
初めての方は必要ありません。献金は伝道や会堂維持などに用います。

8.奉仕

奉仕の目的

教会は、信徒皆のもので、一人、一人がキリストの体の一員です。ですから
信徒一人一人が自分の体として教会を育て上げていくのが目的です。そして
その推進力が信徒による奉仕です。教会は奉仕がなされないなら教会ではなく、
教会にはなっていきません。

奉仕の模範と姿

キリストは「自分を仕えるために来た」と語られて、御自分の体を十字架に
捧げてくださいました。それによって罪深い私達に神の尊い愛がわかり、罪を
もゆるされ、神様の正真正銘な子とされました。ですから奉仕の模範は十字架に
捧げられたキリストの姿であり、その精神は無私の精神です。模範は次に奉仕される
方のためにあることも覚えましょう。

奉仕の対象

キリストは私達を救うために神に奉仕されました。したがって奉仕は新来者や
救道者に対して、先に救われた私達が 神様にさせて 頂く事柄です。自分を
喜ばすために奉仕があるのではなく神様と他者に
喜んでいただくためにあることをしっかり覚えましょう。

奉仕の仕事
 
司会者―礼拝や諸集会の司会者によってその集会がつくられていきます。
受付係―受付は教会の顔です。遅刻することなく、明るい喜びの心で臨み、
来会者を迎えましょう。
記録係―諸集会の諸記録は、司会者が記録します。主日集会の出来事、
主日以外の集会の出来事は司会者、教会学校の
記録は教師、牧師が記録を担当します。
文書郵送係―教会の週報、教会関係誌、クリスチャン新聞の福音版の発送を
奉仕します。
図書.カセットテープ係―教会図書ならびにCDやカセットテープは所定の場所に
保管し、借りるものには必ず記帳するように
依頼します。


  1. 2011/05/22(日) 00:01:10|
  2. ○教会生活
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教会の暦


教会の信仰生活・主日礼拝は教会暦によって営まれており、以下の項目がある。

1、キリスト降誕記念日(クリスマス)一12月25日あるいはそれに近い主日礼拝日。

2、公現日(エピファニー)一1月6日。マタイの福音書に登場する東方の博士による
キリスト礼拝が全世界に神の救いが現されたことを記念する。

3, 4旬節(レント)一これはキリストの復活日より、主日を除いた40日前の
水曜日(これを灰の水曜と呼ぷ)から、復活日の前日までを言う。主の苦しみを覚えて
自らをキリストの苦しみにあずかる機会である。

4、受難週一4旬節の最後の週。受難週の主日はキリストのエルサレム入城を
記念した棕梠の主日で、木曜日は最後の晩餐の日の洗足木曜日、金曜日は十字架刑の
受苦日として記念する。

5、復活日(イースター)一紀元325年のニケヤ総会議で、春分の後の最初の満月直後の
主日と定められて今日に普及した。我らの主キリストが墓から復活し、死を減ぼした
記念すぺき勝利の日。

6、聖霊降誕日(ペンテコステ、5旬節)一復活後40日を経過してキリストが見える姿で
昇天されたことを記念する昇天記念日、その10日後、っまり復活日から数えて
50日日に約束の聖霊が使徒や信徒に下って教会が誕生し、宣教が開始された
記念すぺき日。

7、三位一体主日一聖霊降臨日の次の主日からは、父と子と聖霊なる三位一体の神
ご自身を覚える聖霊降臨節である。信仰生活の初歩から信仰の完成、神の万物の
創造から新しい天地の創造までのご計画全体を学ぴ、教会は神に仕え、罪の世に
福音を宣教する働きに導かれる。

8、待降節(アドペント)一12月25日のクリスマスの前にある4回の主日を含む期問で、
キリストの降誕を待ち望む準備期間・アドペント(来臨)である。







  1. 2011/05/22(日) 00:00:00|
  2. ○教会の暦
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聖書について


旧約39巻、新約27巻の聖書66巻ほ、はじめ神が選ばれたそれぞれの著者たちに
よって聖霊の完全な指導と監督の下に記された神の言葉であって、従って、原典に
おいてその記述には誤りがなく、神が救いについて人間に啓示しようとされたすぺての
ことを含み信仰と生活の唯一、絶対の規範である神の言葉です
・テモテ3・16、・ペテロ1・21

A,聖書は有機的に統一された神の言葉

旧約・新約聖書は別々のものではなく、神ご自身による救いを預言し、その救いが
キリストによって成就されたことを真実に告げている歴史的有機的な関係にあります。
.著作の背景が三位一体の神に属するからです。
・テモテ3:16

B,聖書は霊感された言葉

聖書記者の自由な意志と人格を認めない機械霊感説を否定し、思想のみの思想霊感説を
否定し、キリストの言葉だげが霊感されたという部分霊感説も否定します。すなわち
言語霊感であり、十全霊感です。
Iペテロ1・20-21

C,聖書は唯一の神の言葉

キリストの救いと信仰は信仰者個々人の体験や知識に墓づくものではなく、聖書を神の
唯一の言葉として啓示された範囲でキリストの購罪中心に信じます。聖書の中心は
キリストであり、購罪のキリストを信じることにより誰でも神の子とされます。過去に、
教会が世俗的に堕落した時、救いや異端に関する教えに対して、教会は聖書を神の権威に
基づいて、愛と知恵で裁いてきました。
ヨハネ5:39、ルカ24:44,Iヨハネ4:6

D,聖書は信仰者の生活の規範
罪を持った人間は絶えず悪に傾き、神のみこころに反する思い、行動、言葉をします。
神が喜ぱれるみこころのすべては聖書の真理から来ます。価値観や人間性を変えるカは
私違にはなく真理の言葉に従ってこそ私達は変わっていきます。神を喜ぴ、神を愛し、
人を愛する者へと変えられていくのは聖書と聖霊の力です。
ガラテヤ5・13一、エペソ4・17一、ピリピ2・3-16

〈註>霊感とは、神の息吹、神の息・霊がかかっている、の意味.




★コメント:
聖書と訳されている言葉はギリシャ語の翻訳です。

聖書を、辞書で引くと、
1)聖書は神の言葉である。
2)聖書を書かれた目的は「イエスは神の子キリストであると信じるためであり、また、そう信じて、
イエスの名によって命を得る為である。
3)聖書は又聖典である。
以上のように書かれてあります。

聖書の権威

1)聖書はすべて、神の霊感によるもので、教えと戒めと矯正と義の訓練の為に有益である。
2)人間の私的解釈を施してはならない。
ペテロの手紙 第二 1章
20節 それには何よりも次のことを知っていなければいけません。すなわち聖書の預言はみな、
人の私的解釈を施してはならない、ということです。
21節 なぜなら、預言は決して人間の意志によってもたらされたのではなく、聖霊にうごかされた
人たちが、神からのことばを語ったのだからです。

3)人間が聖書の言葉に対し、自分勝手に付け加えたり、割引きして覚えたりしてはいけない。
黙示録 22章
18節 私は、この書の預言の言葉を聞くすべての者にあかしする。もし、これに
つけ加える者があれば、神はこの書に書いてある災害をその人に加えられる。
19節 また、この預言の書のことばを少しでも取り除く者があれば、神は、この書に書いてある
いのちの木と聖なる都から、その人の受ける分を取り除かれる。

聖書は旧約39巻、新約27巻からなり、はじめ神が選ばれたそれぞれの著者たちによって
聖霊の完全な指導と監督の下に記された神の言葉であって、従って、原典においてその記述には
誤りがなく、神が救いについて人間に啓示しようとされたすべての事を含み信仰と生活の唯一、
絶対の基本である神の言葉です。
  




  1. 2011/05/21(土) 23:58:49|
  2. ○聖書
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